ようやく先日「サクライロ」のCDが手元に届いたので、「そうか、採譜すれば少しは覚えられるかも」と、リピートモードにして聴きこんでいる(→サクライロのリリースイベントは終了したが汗)。
「サクライロ」の2番の歌詞には「あなた」が「僕」に時間をきく癖があった、というふたりの想い出が織り込まれているが、その何気ないシーンは私の日常にも全く同じように存在していた。
忘れてしまいそうな、だけど、まだ痛みを感じるほどには距離が近い過去のある日、ごく近しい人が失われるまでは。
「サクライロ」で歌われている女性のように、私は腕時計をほとんど身につけない。時刻は携帯で確認するか、隣に誰かがいれば「何時?」と、つい聞いてしまう癖まで同じだ。
最初にこの曲を聴いたとき、あり得ないことだが、自分たちのことが歌になっているのかとどきっとした。それほどまでに「見覚え」のある情景がそこにあった。
失われた人との間で幾度となく交わされた「ねえ、何時?」という打ちとけた響きと、共に過ごした穏やかな月日。そして、2人で見上げた空の青と桜の淡い色が思い出されて、途中から泣きじゃくりながらサクライロを聴いた。
逢いたい、と思っているわけではない。
願ったとしても、二度と逢うことは叶わない。
きっと忘れることは、できない。
それでも。
ここに私はいて、昨日より少しだけ顔をあげ、前に向かって歩いている。
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