歴女じゃないワタシが書くブログ

初回から「八重の桜」を観ております。

来週から、斎藤工さん演じる神保修理が登場ということに なりますね。予告編ですでにご覧になった方もいらっしゃる のではないでしょうか(一瞬です 汗)。


この神保修理という人物、どのぐらい「殿の右腕」なんだろう? と思っていましたが、ほんとに松平容保から信頼されていた 人物だったようです。

歴史は苦手なので、入門書を1冊だけ買ってそれを参考に 「八重の桜」の時代風景をちょっとだけ予習しました。


修理は優れた国際感覚を持ち合わせていたそうで、 そのことを高く買っていた容保から長崎に視察に行くように、 と派遣されます。

このくだりがどの程度取り上げられるかわかりませんが、 長崎から大坂へ帰還した修理は…大政奉還の直後ですね。 王政復古で事態の収拾が困難を極めたため、不戦恭順論を 将軍慶喜に進言するのです。

このことにより、会津藩内部で「戦いを続けよう!」 と主張する佐川官兵衛たちと、激しく対立することになります。


慶応4年1月。

鳥羽・伏見の戦いが勃発し、修理は軍事奉行添役として 会津藩の軍権を持ち出陣しますが、戦況は不利に転じていきます。

朝敵(逆賊)となることを怖れた修理は、徳川慶喜と松平容保に 恭順(降伏)を進言します。

彼らは修理を残して(!)大坂城を抜け出し江戸へと脱出。 幕府軍は戦意を喪失し、官軍が勝利します。


「総大将が戦線離脱したのは、神保修理が恭順を進言したためだ!」


会津藩の内部でそんな声が一方的に上がります。

それだけではありません。

全ての藩から 「鳥羽・伏見の敗戦を招いた張本人は神保修理だ!」 と決めつけられ、ついには幽閉されてしまいます。

親交のあった勝海舟が、なんとかして修理を助けようとしますが、これがかえって抗戦派の逆鱗に触れ、修理は切腹を命じられることになるのです。


容保との謁見も叶わず、弁明する機会さえ与えられず、そして、実は君命ではない、という事実も受け入れた上で


「是に従うのが臣である」


と潔く自刃します。

…書いていたら、何だか悲しくなってきました(早過ぎ)